2023年の終わりから「ライフログ」をつけている。
毎日、何をしたか、何を感じたか、何を考えたか —— を残す。
文字通り、人生(ライフ)の記録(ログ)。
なぜ、ライフログをつけ始めたのか。
きっかけは、恐怖というか何というか。
記憶に残りそうな出来事はいくつかあった。
10年ぶりにジムへ通い始める、避けていたBIG3(スクワット、ベンチプレス、デッドリフト)を始める、パワーリフティングの大会出場をノリで決める、さっそくギックリ腰になる、腰を引きずりながらアジア人いないアメリカローカルへ出張、帰ってきたら妻の妊娠が分かる、とかとか。
その少し前で言うと、愛犬の避妊手術があったり、仕事で週4回徹夜したり。
でも、出来事以上のことは、何も残っていない。
あのときの景色、感覚、感情、思考を思い出そうとしても、頭がフリーズする。
頭の奥にダイブして、苦しい思いをして、ようやく出てくるのが断片的な記憶…。
何をやったか、何を感じたか、何を考えたか ―― 自分の一部のはずなのに、そのほとんどが静かに消えていた。
これまでの道のりを振り返ろとしても、暗闇の中にまばらな足跡があるだけ。「どうやってここまで来たん?」この感覚が気持ち悪い、そして怖い。
何か行動を起こさないと。
思い出したのが、過去に半年ほど続けていたライフログ。
あの頃は、昭和のモーレツ社員よろしくな働き方をした結果、メンタルを崩していた。
ぐるぐる思考を吐き出すため、虚無のなかでもできたことを積み上げるため。
ライフログに書き殴る、残すことで少し楽になったことを覚えていた。
だからまた、始めてみた。
ライフログを再開し、続けてみると、確かに日々は残った。
昨日何をしたか、先週どんなことを考えたか、何を感じたか。
「過去の自分へコンタクトできる」という感覚が、小さな安心感を与えてくれた。
消えていく自分に、歯止めをかけられている気がした。
気づけば、自分の後ろに轍ができた。そして、得体のしれない恐怖は、消えた。
今年(2026年)になって、一つ発見があった。
それは、ライフログを止めてしまうことへの恐怖。
今年は、1月10日、この1日だけライフログを残せていない。
この日のことは、何もかもが闇の中に消えてしまった。
他の日であれば、ライフログを見返せばその日を思い出せる。
記憶がぼんやりしていても、「こういうことがあったんだ・感じたんだ・考えたんだ」を知ることができる。
でも、1月10日だけは、それができない。
どうあがいても取り戻せない、完全に消えてしまった。
ライフログをやめてしまえば、同じような日がまた増えていく。そう思うと、怖くてやめられない。
今もライフログを続けているのは、この新しい恐怖によるところが大きい。
これはライフログを始め、続けてきたからこそ得られた体験・感情。
おもしろい。
続けることで見えてくるものがある。
また新たな発見を期待して、この新しい恐怖に乗っかっている。
こんな私のライフログ術は、以下のnote記事で紹介。

人生を記録するライフログが気になった方は、ぜひ一読を。